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500億ペソかけ一掃? [新聞]

7月27日まにら新聞から抜粋した記事は、大統領府はこのほど、2008~2010年の3年間で、首都圏の違法占拠住民約27万世帯を首都圏郊外へ移住させる計画を発表した。国家経済開発庁(NEDA)によると、主な移住対象は、国鉄沿線や水路沿いに住む違法占拠住民。総額500億ペソをかけ、移住先のラグナ、カビテ両州などに低コスト住宅を約266,000戸建設する。同住宅は一戸当たり188,000ペソで「分譲」される。低所得世帯でも購入可能なように、30年間の分割払いが利用可能という。敷地面積は30~35平方メートル。住宅建設用予算500億ペソのうち150億ペソは政府予算に組込む。残りの350億ペソは、移転事業実施機関の国家住宅庁(NHA)が政府系金融期間から借り入れる。しかし、金融機関への債務返済期間には5年程度しかない。NHA当社の担当者は「住宅購入者が30年かけて支払う額をNHAは約5年で金融機関に返済しなければならない。NHAに住宅購入費を一時肩代わりする予算はない。予算的裏付けのないまま計画を発表した大統領府の「勇み足」を嘆いた。国家統計局によると、首都圏の違法占拠住民は2002年現在、約174,000世帯。多くは国鉄沿線や幹線道路沿いを違法占拠しておりインフラ整備を進める上で障害となっている。(ペソ≒円換算レート2.61)7月31日現在


幹線道路沿いを違法占拠住宅


▲幹線道路沿いを違法占拠住宅


▲幹線道路沿いを違法占拠住宅


水路沿いにある違法占拠住宅


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誕生パーティー [習慣]

昨日7月29日は小生の誕生日。スモーキーマウンテン本住宅のデイケアセンターにて誕生パーティーを行った。フィリピンでは誕生日の人が、食事等を用意してお客さんを招待する習慣がある。小生は本住宅の21あるビルディングから各ビルディング管理者7名と、日頃からお世話になっている家庭を招待した。招待客が一回では会場に入らないので、一回目11:00~12:00、二回目12:00~13:00の二回に分けて行った。豚と鶏のアドボ(酢と醤油で味付した煮込み)とパンシット(ビーフン焼きそば)ご飯とジュースを用意した。誕生パーティーに総勢350名が出席し、小生は住民の人たちと世間話をしてさらに交流を深めた。


誕生パーティーに出席してくれた人たちがハッピーバースデーの歌を歌う


誕生パーティーの食事を始める人たち


豚と鶏のアドボ、パンシット等を用意


誕生パーティーボランティアの人たちにお世話になった


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野菜の仮装行列 [報告]

サンバヤナン・クリスチャーノ・ディケアーセンターの栄養給食プログラムを、開始するにあたり507人の3~6歳児と父兄参加のパレードが行われた。パレードでは、子どもたちが苦手な野菜を身近感じてもらおうと、野菜の仮装行列と仮装コンテストを実施した。仮装コンテストに参加したのは52人、その他の子どもは各々に野菜を身につけたり、野菜を籠に入れてパレードに参加。仮装コンテストで優勝したのはニガウリのきぐるみを着た子どもであった。コンテスト優秀者20名にそれぞれ賞が渡された。


栄養給食プログラムの開催パレード


野菜仮装コンテスト参加者


野菜仮装コンテストで優勝したニガウリのきぐるみを着た子ども

 

 


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栄養給食プログラム [報告]

昨日、スモーキーマウンテン本住宅にあるサンバヤナン・クリスチャーノ・ディケアーセンターで2007年7月~2008年3月の栄養給食プログラムが始まった。2006年6月~2007年3月まで、他の団体の支援で同プログラムは実施されていたが、2007年6月~2008年3月のプログラム支援が無くなったので、ライズエイジアに事業要請があった。ライズエイジアは「栄養失調の子どもたちをなくす」という目的で、プログラム実施を決定し、スポンサー探しをしてプログラムにこぎつけた。スポンサーさんは愛知県の豊橋北ロータリークラブの支援で行われる。毎週金曜日507名の3~6歳児を対象に2008年3月までに休日を除く33回実施される。一人でも多くの子どもが栄養改善されることを期待する。


スモーキーマウンテン本住宅をパレードするデイケアセンターの子どもと父兄の人たち。


ゴミの山の前で集合写真


栄養給食プログラムで給食を待つ子どもたち


栄養給食を食べる子ども

 


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空腹と回答14.7% [保健]

7月26日まにら新聞から抜粋した記事は、民間調査機関ソーシャル・ウエザー・ステーション(SWS)は、このほど、今年6月末に実施した飢餓度調査の結果を公表、調査開始の1998年7月以来、過去最悪だった前回調査(今年2月末実施)から大きく改善した。発表によると「過去3ヶ月間で食べる物がなく空腹を感じたことがある」と答えたのは全体の14.7%で、2百60万世帯に相当、前回調査の19%から大きく改善した。しかし04年6月の調査以降、13回連続で、10%を上回ってる。空腹を感じている層の中でも「3ヶ月に1、2回程度空腹感を味わった」と答えたの前回から2.5ポイント改善して12.5%「しばしば感じていた」層は前回から1.8ポイント改善して2.2%だった。調査は6月27~30日に、全国の1,200人を対象に行われた。


▲バランガイ129にて食事をする子ども(本文に関係ありません)


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ジャンボ・キングダム [観光]

スラムとは関係ないが、香港島アバディーンで観光客に親しまれたジャンボ・キングダム(Jumbo Kingdom)水上レストランと同型の水上レストランが、1999年末に香港からパサイ市のフィリピン文化センター(CCP)北側のマニラ湾に移送された。この水上レストランは、マカオの「カジノ王」スタンレー・ホー氏の所有で、フィリピンでは「海上カジノ」に生まれ変わることになっていたが、カトリック教会や市民団体の反対運動を受け中断した。マニラ湾に係留された水上レストランは台風被害を受け、一時は「幽霊船」のように放置されていたが、レストランとして2005年4月28日に開業した。約1万個の電灯でライトアップされた4階建ての中国式楼閣が闇夜に浮かび上がる姿は高級感があふれる。


ジャンボ・キングダム


マニラ湾に浮かぶ水上レストラン


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家具の行商 [仕事]

スモーキーマウンテン本住宅で大きな荷物を背負った行商人に出会った。トンド地区に住む行商人のRoger(42)さんは27年間に渡りキッチンテーブル、キッチンキャビネット、TV台、サイドボード等を製作し販売している。Rogerさんの父親が家具職人でRogerさんは、見よう見まねで家具を作るようになった。TV台の材料費が1,000ペソで、製作日数は2日間。売値は2,300ペソで販売する。デスカウントをして2,000ペソで売ることもあるとか。月収は3,000ペソで子どもは2人の4人家族。一人で一つ製作して売れたら、次の商品製作にとりかかる。


家具の製作販売をするRogerさん


商品の販売目標は一日


トンド地区を対象に行商する


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小1 Thaniel君宅家庭訪問5 [事業]

小学生奨学プログラム対象のThaniel(6)君の家庭を訪問。スモーキーマウンテン本住宅のビルディングの2階の1ユニットに3世帯が住む。Thaniel君は、2001年3月2日生まれ、3人兄弟の一番上の男の子。家にいる時は字を書く練習をしている。まだ小さいのでバスケットボールには参加できないが、バスケットボールに興味を持ち始めた。お父さんのNatan(35)さんは、ペディカブ(Pedicab)の運転手をして生計を立てている。一日の収入は100ペソ。お父さんのNatanさんは3人の子どもを就学させたいと願う。長男のThaniel君が奨学プログラム対象者に選出され、スポンサーさんに感謝している。Thaniel君の学校のある日は、ペディカブで送迎することがお父さんの役目だ。


Thaniel君


Thaniel君と家族(お父さんは外出中)

 


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橋の下のスクワッター5 [生活]

去る7月6日、橋の下のスクワッター(違法占拠住民)の違法占拠住居であるバロンバロン(継接ぎ細工の家)が強制撤去されたはずが、スクワッターの人たちは、まだ橋の下に暮らしていた。情報収集するためにImelda(34)さんの家を訪ねた。橋の下のバロンバロンは、床に板が並べられた細い通路を歩き、家の入口にはしっかりした扉がある。橋の下は日中なのに薄暗く、エステロ・デ・ヴィタス河口の川幅が広いわりにはドブ臭い。バロンバロンは2階建ても含め12軒が並び一番奥の家がImeldaさんの家であった。部屋の広さは畳の大きさにして約3畳、床の下には川が流れている。Imeldaさんは、昨日行政機関を訪問し、リサール州ロドリゲスの再定住地の視察をした。1年8ケ月後に完成予定の再定住地に移住するまで橋の下に暮らすそうだ。行政とスクワッターのイタチごっこは続く。


橋の下のバロンバロンが再築された


▲橋の下のバロンバロンへ行く通路


通路の床には板が渡してある


Imelda(左)さんのバロンバロン内にて


橋のスラブ下に板が渡され棚になり、灯りはケロシンランプで


小窓からは、ピア18のゴミ集積場が望める

 

 


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故ラモン・オボサン [人物]

ニノイ・アキノ国際空港近くに「母なる大地の子どもたち」が師事しているラモン・オボサン伝統民族舞踊団(Ramon Obusan Folkloric Group:ROFG)がある。故ラモン・オボサン氏は、1972年に約30名の踊子と共にROFGを結成した。ROFGはフィリピンの舞踊、音楽に特化した文化の保存、恒久化に取り組み35年になる。研究によって蓄積された、膨大な量のデータをもとに、フィリピンの伝統舞踊、音楽を反映させる民族舞踊団を作り、フィリピン民族舞踊をオリジナルに近い形で披露する先駆者として、舞踊界に確固たる地位を築いた。フィリピン国内外に1000名を超える団員を抱え、1986年にフィリピン国立劇場専属舞踊団に就任した。国際的な認識が高まれども、ROFGはその誇るべき人々を忘れず過去20年間、50民族の慣習儀式をROFGは執行してきた。コーディリレラ、バゴボ、ティボリ、タウスグ、マラナオ、アエタ、タラアンディグ等20以上の地域から、正当な動きや衣装にスポットを当てている。2006年6月9日、日本の人間国宝に相当するナショナル・アーティストに選出され、2006年12月21日、享年68歳にて急逝。追悼式は同月28日フィリピン国立劇場にて行われ、多くの参列者が別れを惜しんだ。


故ラモン・オボサン氏(ナショナル・アーティスト)


火葬された故ラモン・オボサンのお骨


2006年12月28日にフィリピン国立劇場で追悼式が行われた


フィリピン国立劇場で追悼式後、故ラモン・オボサンのお骨を見送る参列者


別れを惜しむ「母なる大地の子どもたち」の団員たち


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